NNNドキュメント06 奪われた自然(やま)の学び舎小泉改革と4人の子どもたち

23日の深夜に放送していたもの。
どういう内容かを番組のHP(http://www.ntv.co.jp/document/)より抜粋すると、

九州最大のカルスト台地にある小さな分校。全校児童4人は石灰岩や鍾乳洞に囲まれて成長した。ところが北九州市は2年前「特区」を利用した私立小学校の開校を発表。分校の廃校が決まった。理由は「小規模校では子供が育たないから」しかし本音はコストカットだった。住民の反対等で進まない統廃合を「特区」という妙薬で切り抜けようとしたのだ。分校の4人はそれぞれの事情で私立の学校には通えず、大好きな学び舎を去った。地方にとって小泉改革は何だったのか、その光と影をみつめる。

というもので簡単に要約すると「子供達の居場所を政治家が自分たちの都合で奪ってしまった。」
と言ったところになるんでしょうか。まあ事実その通りだと思うんですが、
その一方でこの番組を見ていて気になったのが番組の中で役所の人間が言っていた、
「小規模校の教育では無理がある」という意味の発言です。これに対して保護者や教師は
反対していましたが、個人的には間違ってはいないなとも感じました。


私が通った小学校は全校生徒が50人弱。同級生は入学の時私を含めて6人、1年の終わりに
一人増えて7人となり小学校の終わりまでそのままでした。
クラスは複数の学年がひとつの教室で学ぶ所謂『複式学級』で、私は4年間をひとつ上の学年と、
残りはひとつ下の学年と同じ教室で過ごしました。
勿論そこで過ごした日々を悪いものだったとは思いません。
ただやはり、その中で得られなかったものがあるというのも事実です。


私たちは成長していくうちにいろんなものにぶつかっていきます。それは人間関係だったり、
いろんな壁だったり様々なものだったりするわけですが、そう言うものに対する耐性を身につける
一歩が学校だと思ってます。小規模校でそれを得られるかどうかと言うと、
どうしても難しい点があるんじゃないかと思います。


例えば小規模校の場合、順位というものはほとんどあってないようなものです。
私の学年も当然ですが成績、スポーツ、絵や音楽の等の能力に差はありましたが、
それで評価されたと言うことはほとんど記憶に在りません。
人数が7人しかいませんし、順位の変動等もなかったからそれはごく当然のこととしてそこにあり、
別に出来なかったから、悪かったからと言って何もなかったからです。
しかしそれが中学になると状況は変わりました。勉強はまだともかく運動や絵などは
ある種才能です。どれだけ頑張っても『足の速い』子が流しているのにさえ追いつけず、
何十時間掛けて書いたとしても『絵のうまい』子が1時間で書いたものにさえ負ける。
そんなことは当然起こりえます。「がんばりを評価する」なんてことをいくら言ったところで、
結果が出ている以上そこには純然と上下が生まれてくるわけです。


また意見等割れることもありましたがそれもすぐに片が付いていました。
というのも全員長ければ十年近くも付き合って、顔も性格も知っている人間ですし、
人数が人数ですからバラバラにやるなんてことは物理的に不可能ですし、
ムカツクから口も聞きたくないなんてことも不可能なわけです。
たとえ実行したとしても、そんなことをすればすぐに目立ってしまい
精々教師から理由を聞かれて拳固のひとつでも落ちれば終了していたでしょう。
勿論そうはいっても他人ですから腹の内にいろんな思いは当然あったでしょうが、
それでも表面上みんなで一緒に行動するというのが自然の成り行きでした。


つまり友達なんて作るものではなく当然そこにいるものでしたし、多少ソリが合わないとしても
その人は友達じゃないなんて言える状況でも無かったわけです。


ですが当然世の中なんてそう言うわけにも行きません。中学高校と進んでいけば
見知らぬ人間ばかりのところに放り出されることもありますし、喧嘩になることも
またイジメに遭うこともあり得ます。
無論そう言うことにならない子もいます。挫折をしたり喧嘩したりそういう中で
自分の居場所を見つけていく、そういう子が大半だと思います。
でも一方で小さいうちにそういうのに多少でも触れなかった結果、立ち向かえなかったり
折り合えなかったりして、過去にしか救いを見いだせないようなそんな子が出てくる
可能性もあるんじゃないかとそんな風にも少し思ってしまうわけです。


ただここまで書いといて何なんですがやっぱり都会の3〜40人でのすし詰め授業が
いいとも思えないんですよね。まあ私がそういう状態での授業を経験したことがないので
イメージがわかないというのが主な理由なんですが。