1期生全員資格得られず 仙台福祉専門学校保育学科

(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070217-00000002-khk-soci)
最近「通信制大学」での検索が増えてきたこともあり、
興味を持ってる人がいるのかな?と言うことで体験談をふまえつつ雑談を………。


私が今年の3月まで在学する(言い忘れましたが追試合格したので卒業は確定しました。)
通信制大学に私が入学を決めたのは単純に「入学試験が無くかつ学費が安く楽そうだった」からになります。
ですが「うまい話には裏がある」と言うか当然の事ながらそう簡単に卒業はさせてくれないわけで………。

通信制大学 流れ

通信制大学の流れとしては

  1. 指定された科目を自分で学習しレポートを作成し提出
  2. レポートが合格すれば試験の受講許可(不合格の場合再提出)
  3. 試験を受け合格すれば単位認定
  4. 一部科目については実際に大学に行き講義を受講する。

あとはこれをひたすら40科目程度続けると言った感じになります。
大学によっては、1年を通じて通学が出来るところ、夜間講義を開講している所、ネット授業を取り入れているところ等も
ありますし、通学のみで卒業することも可能です。
(ただし逆に通信のみで卒業することは出来ず、最低でも何科目かは実際に講義を受講する必要があります。)


まず①ですが最低限のテキストはおそらく大学側から配布されますが、
参考書等は自分で収拾しなければいけません。地方だとこれはかなり大変だと聞いています。
また、テキストは所謂学術用語などを駆使して書かれていることが多く、
それを人の言葉を介して聞く「授業」ではなく、自分の力のみで理解するというのはかなり労力を費やす作業です。



次に②です。レポートが「合格」する為には担当教員の考える一定の基準を満たさなければいけませんが、
その基準は担当教員により異なります。つまり明確な基準が存在しません。
また担当教員も人間ですからいろんな人がいます。事細かに指示を返してくれる人もいれば、
正直言って腹が立つとしか言い様の無い返し方をしてくる人も当然存在するわけです。
相手が何を求めているのか、どういう人間なのかが分ればある程度傾向と対策が立てられるのですが、
それを知るために最も有効な直接の授業が受けられない訳ですから、
そのあたりで苦労をする可能性は十分にあります。



で、③。レポートが「合格」してもそれだけでは単位認定とはならず試験に「合格」しなければいけません。
しかしこの試験も当然ですが簡単ではありません。
まず普通の大学であるような所謂「出席点」のような平常点はありませんし、
出題範囲も大体の場合「テキストの中から」というアバウトな代物です。
山を張るにしても全てを覚えるにしてもかなり膨大な範囲です。


また普通の大学の試験は1〜2週間程度かけて行なわれますが通信制の場合大体1日で行ないます。
(ただし試験の回数は年数回はあるはずですが。日大は4回)
1日の科目が1つならともかくこれを複数やるとなればその負担は大幅に増加します。



そして④、上にも書きましたが全ての単位を通信のみで取ることは出来ません(現在の法律上)。
一部の講義については必ず面接授業(スクーリング)で受講する必要があります。
スクーリングの開講場所、時間については大学により様々ですが、上に書いたように一般の大学と同様に
昼間に開講しているものや夜間に開講しているものの他に、大学が夏期休暇の時期を利用して、
1週間から3週間程度行なわれるものや、年に数度地方で行なわれるもの等があります。
ただし地方で行なわれるものについては内容に偏りがあり、また機会も少ないためどうしても何度かは
夏期に本校に赴いてスクーリングを受ける必要があると言うのが現状のようです。


最後にこれを数十科目、(最低でも)4年間続けなければいけません。
私のように結構好き勝手に時間と労力を費やして良いのであればともかく(いや、親からすると「良く」はないでしょうが)
通常に生活をこなしながらこれを継続することは決して「楽な」作業ではありません。
相応の覚悟と努力が必要かもしれない…と認識した上で入学されることをお勧めします。

追記

あくまで以上は「日大通信教育部」しかも私が在籍した間に体験+伝聞したことを例にしています。私自身は進路の大半を「通学」して、更に4年どころではない年数を掛けて取得しているため情報は確実とは言いかねます。そのため入学希望の方は、大学の学生課への問い合わせや説明会等を活用し、ちゃんと調べることをお勧めします。


また、日大通信教育部の場合最短(1年次入学なら4年、編入学ならそれに応じた年数)で
卒業する学生の割合は約2割、年数を問題にしない場合の卒業者の割合は4割前後と聞いています。
私が卒業した年で、卒業生が400人ほどだったと言うことも併記しておきます。